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ご存知のように2011311日に発生した地震と津波によって、福島第一原子力発電所の原子炉が大きな事故を起こしました。
私の友人の農場も原発から22kmのところにあって、緊急時避難準備区域に指定されており、もうすこしで20km圏内
警戒区域に入る際どい場所でした。

事故の直後から農場内に居住していた他の家族ともども県外に避難していましたが、
3週間ほどの避難生活の後、友人夫妻は現在、農場にもどり以前と同じように農作業に汗をながしています。飼育していた動物を放置するわけにもいかないし、苦しい選択だったと思います。
不幸中の幸いといえるのは、三人の子供たちがすでに農場を離れて生活していたことでしょうか。

82日から8日まで、久しぶりにこの農場を訪れて除染のお手伝いをしてきました。早朝に三重県を出発して、福島県の目的地まで約780kmを一気に走り、夕方には友人と再会できた。
翌日からはユンボで草の根とともに表土を5cmほど削り取り廃棄する作業が始まりましたが、その汚染土の処分先がなく
仕方がないので現在は敷地内の片隅に積み上げているような状態です。

それでも表土を削り取った場所では線量もかなり下がっているので、気持ちはすこし明るくなる。

今回の福島行きで強く感じたこと。
最初30km圏内に車で入ったときには、窓も閉め、なるべく呼吸もしないようにしていたものが、現地に着いて2,3日もすると
除染の作業中ですらマスクをつけなかったりという有りさま。
私が特にズボラというわけではなく(どうなんだろ?)人間というものは目に見えない危険、味も匂いもしない緩慢な危険に対して
どんどん「慣れてしまう」傾向を持った生き物のようです。

これまではその方法が生存していく上で一番有利だったのでしょうが、まだDNAが放射能と出会って日も浅く、
その危険性が二重らせんに刻印されていない。
困ったことですが、これはどうしようもない。意識レベルでコントロールするしか方法がないのが歯がゆい。
この農場よりも線量が高い場所にまだ子供も含め、何十万人もの人々が暮らしている現実をどのように理解すればいいのだろうか?
政府を信じて漫然と対策、救済を待っていても応えてくれるとは思えないし。

原発事故収束の先行きがまったく見えず、メルトダウンからメルトスルーが現実になった今、これからのことを考えると楽観はできませんが、
この場所で暮らし続ける選択をした友人たちのために、私もできる限りの応援をしていきたいと思っています。
そしてなによりも地震大国、日本から原発をなくすこと、これに尽きます。

                                                                              2011,8,15


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