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                   2、木馬(きんま)

                             2011年8月15日 加筆

 木馬(きんま)というものをご存知の方はあまりいないと思います。
私が二十代のころ
、ちょうどその時に阿武隈山中の友人宅に居合わせたことで幸か不幸か「木馬」を体験するはめになってしまいました。

「木馬」とは現在のように動力を駆使しての木材搬出が始まるはるか以前、生きた馬などを利用することもできないほどの急斜面で使用された、伐採した丸太を麓まで運ぶための大きな木製の「そり」のことです。

全長3mほどの「そり」の前部にはカブトムシの角のように直径
10cmほどの棒が突き出していて、その棒にワイヤーを巻きつけ、そりが斜面を滑り下りる力を制御しながら、信じられないほどの重量の木材を運搬する貴重な道具と技術だったのです。

 その友人はかねてから廃材を利用して新居を増築する夢を持っていましたが、その友人の住んでいる場所というのが車がかろうじて通れる林道が途絶えたところから、さらに徒歩で20分ほども道なき道を辿った場所にありました。そしてその林道にしても、一旦雨が降れば川底のようにぬかるみ、車も使えなくなるような道なのです。
さて、いかにして何十トンもの建築資材を運搬するのか?


渡りに船とはこのこと、その年に裏山が業者によって伐採され、裏山の頂上まで木材搬出用のワイヤーケーブルが敷設されたのでした。友人は業者にかけ合い、裏山の頂上まで建築資材を運んでもらうことになりましたが、どのようにして裏山から麓の建設予定地まで運ぶかという問題は残ったままでした。


 距離的にはかなり近くなったものの、その急斜面のことを考えると運搬に費やす労力はそれほど軽減されたとは思えなかったものです。そんな中で、知人の家の納屋に今は使われなくなって久しい「木馬」があるという話が出て、使い方の説明などを聞くうちに、面白そうだからやってみようということになりました。

「木馬」の自重は40kgほど。そのそりの上に高々と数百キロ、ときには数トンもの木材を積み上げ、荷崩れしないように細心の注意を払ってロープをかけ、「木馬」に巻きつけたワイヤーを緩めながら山を下った時のスリルを今でも忘れません。油断しているとワイヤーに指を挟まれて、運が悪いと指を切断されることもある。そして、これが一番危険なのですがワイヤーの調節を誤ると、一気に「木馬」は斜面を暴走し始め、もうこうなると自分が下敷きに巻き込まれないように「木馬」の進路から逃れるだけで精一杯ということになります。

「木馬」は二度ほど暴走して壊れてしまい、修理しながらなんとか友人共々大きなケガもなく運搬を終えた時には心底ホッとしたものでした。
文献によると熟練した木馬職人の中でも事故死が頻発したそうですから、経験もない若者が見よう見真似で挑戦するということは、ちょっと無謀だったのかもしれません。

 男ふたりが毎日ソーメンをおかずに玄米を食べるような食生活で重労働をしていたわけで、その当時の写真を見ると見事に痩せさらばえています。敷地のそばを流れている川に潜って突いたヤマメなどの干物や燻製が唯一の動物性蛋白源でした。いつも餓鬼のように腹をすかせていたけれど、今思い返すとほんとうに楽しい毎日でした。


 建設作業にはそれほど関わることができませんでしたが、今では現地に廃材の柱で組んだログハウス風の立派な住居が建っています。何年か前には村議会の了承も得て、家の前までなんとか車が入れるほどの道も出来て、毎年大勢の人たちを集めて数日に及ぶ夏のコンサートなども企画しているようです。

疲れた体を休め、裏山の頂上から眺めた夏の阿武隈山地のみどり。将来が何も見えない不安と焦りの中、手探りで生きていた当時、忘れられない二十代の日々。

そういえばほぼ時期を同じくして、電気のなかったこの場所に水力発電を建設するために製作した直径160cmほどの「水車」が私の作品第一号ということになります。

三重県に工房を開くのはこれより何年か後のことです。

                                                            

不幸にして2011年3月11日の地震と津波によって発生した原発事故により、この農場も多大なる
被害を受けてしまいました。その後の報告です。
                             2011,8,15