三重県飯高町にある蓮(はちす)ダムの湖岸周遊道路の最奥部から少し登ったところに「青田の大カシ」はある。
先ごろある方のHPでこの木の存在を知り、やっと今日、訪ねることができた。
樹高20m、幹周り7.4m、樹種はアカカシである。道路からその姿を見ることはできないが、道路脇にある天然記念物の看板に従い坂道を5分ほど登ると廃屋の裏山にそびえ立つ姿が徐々に見えてくる。
このあたりは以前にも訪れたことのある場所だったが、この木のことはまったく知らなかった。
それは私が工房を開いた直後のことで、三十数年ほど前の話である。
その頃すでにダム工事が始まっており、川沿いに点在している民家はすべて立ち退いたあとで、どの家にも人の気配はなく
ひっそりと荒れ果てていた。渓流を歩いた帰り道、ふと目をやった一軒の廃屋の雨戸に
「ここには誰も住んでいません。五億年たったら帰ってきます」という意味の短い文章が殴り書きされているのを見た。
ずいぶん前のことであり、今となってはその時の一字一句を正確に思い出すことはできない。
雨戸にペンキで書いてあったような気がするが、ひょっとすると紙に書いたものが貼ってあったのかもしれない。
そのあたりの記憶もさすがに曖昧になってしまったようだ。
しかし、その今にも崩れ落ちそうな廃屋とともに、五億年後に帰るという非現実的な文章を見た時の印象はなかなか強烈で、
今でも忘れることができない。
後日、ある本を読んでいた時にまたその文章に出会った。高橋新吉の「るす」という詩だった。
留守と言へ
ここには誰も居らぬと言へ
五億年経つたら帰つて来る |
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という短いものだ。
おそらくこの廃屋の住人は「るす」という詩をかつて読んだことがあったのだろう。
今日、風の強い高台に立ち、その廃屋のあった場所を思い出そうとしたが、そこには平成三年に完成した蓮ダムの湖面が広がるばかりで、その風景はまったく一変している。66戸が水没したということである。
その廃屋も今では深いダム湖の底に静かに眠っていることだろう。
ちなみに五億年とは弥勒菩薩が地上に現れ、人類を救済するまでに残された時間だとも考えられているようだ。
長寿の大カシといえども、残念ながらその日を見ることはない。
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